坂本龍馬の「日本初」
日本初の「新婚旅行」
坂本龍馬は、慶応2年1月23日に京都の寺田屋に潜伏していたところを襲われ、辛くも一命を取り留めます。そのとき逃がしてくれたのが、寺田屋の養女であるおりょう。寺田屋の事件のあと、龍馬はおりょうと結婚します。
寺田屋事件で傷を負った龍馬は薩摩藩に庇護され、療養のため、西郷隆盛にすすめられた鹿児島の霧島山の麓にある温泉に、おりょうを伴って滞在します。この温泉は、塩浸温泉と呼ばれ、鹿児島県姶良郡牧園町の妙見温泉群の一角にあります。滞在中、龍馬はおりょうと、霧島山への登山などを楽しみ、その様子は姉の乙女に送った手紙でもうかがうことができ、犬飼の滝や和気神社を訪れたことがしたためられています。
療養のためですが、新婚ほやほやであったため、後世において、これが日本で始めての新婚旅行と言われるようになりました。
鹿児島市天保山には、「坂本龍馬新婚の旅碑」として二人の姿の銅像が建てられています。
日本初の「会社」組織
亀山社中は、幕府の直轄施設・神戸海軍操練所の解散をきっかけに、操練所の生徒の一部と、勝海舟の影響を大きく受けた坂本龍馬を中心とした一団を母体として、長崎・亀山の地で結成されました。これが後に海援隊の中心となります。
坂本龍馬は、1865(慶応元)年閏5月ごろ、薩摩藩の援助で、長崎に貿易結社を設立しました。この結社は宿舎の所在地から「亀山社中」と呼ばれました。
当初は薩摩藩の庇護の下に、交易の仲介や物資の運搬等で利益を得るのを目的としながら航海術の習得に努め、その一方で国事に奔走します。
社中の目的は、貿易を行い、商社をつくり海軍・航海の技術を習得することですが、最大の目的はこれらの活動を通じて薩長の手を握らせることでした。
社中のメンバーが、白袴を身につけていたので「亀山の白袴」と呼ばれていました。
1866(慶応2)6月、下関における対幕海戦(第二次長州征伐)で、亀山社中は長州の軍艦「ユニオン号」に乗り組み、海戦に参加、幕府軍を相手に戦い、長州の勝利に大きく貢献します。
しかし、最終的には多くの難題が発生し、亀山社中の運営は困難を極め、経済的に行き詰まり、土佐藩の援助を受けることになって名を海援隊と改めました。龍馬は脱藩の罪を許されて隊長に任ぜられています。
日本初の「ブーツ」
ブーツを履いたはじめての日本人も、坂本龍馬であると言われています。
ブーツを履いた写真から、龍馬は2つのブーツを所有したと思われていて、ひとつは、長州の高杉晋作からもらったものだと言われています。長州は、沖を通る外国船を攻撃していた際の、その船の乗組員のものではないか、と…。
もうひとつは、長崎の亀山社中の後ろ盾になったと見られるグラバーから。浪人が起こした商社がすぐに外国との貿易ができたはずがなく、そこにグラバーがいたからだ、といわれています。グラバーが住む大浦の居留地に、龍馬は何度か足を運んでいます。その居留地には、靴屋があり、そこでグラバーからプレゼントされたのではないか、と…。
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