西郷隆盛(さいごうたかもり)
坂本龍馬は、西郷隆盛を評してこんな言葉を残しています。
「西郷という男はどれだけ大きいかわからぬ。釣鐘の様な奴で、小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく響く。こちら次第に応ずる。得たいの知れない大人物さ」。
時代を大きく変えた薩長同盟に龍馬とともにかかわり、また、龍馬夫妻の仲人であるなど、坂本龍馬とは公私共に深く接点を持った人物です。
西郷隆盛は、薩摩藩の下級武士でした。当代一の開明派大名であった、藩主・島津斉彬の目にとまり抜擢され、強い影響を受けます。
しかし、斉彬の急死で失脚し、奄美大島に流されます。その後復帰しますが、新しい藩主の実父で、反の実権を握る島津久光と折り合わず、再び、沖永良部島に流罪、そして、家老小松帯刀や大久保利通の後押しで復帰します。
元治元年(1864年)の禁門の変以降に活躍し、薩長同盟の成立や王政復古に成功し、戊辰戦争を巧みに主導しました。勝海舟との降伏交渉に当たっては、江戸総攻撃を中止し、無血開城を果たします。
明治政府では、要職を歴任。しかし、朝鮮問題を契機として、明治6年(1873年)の政変で江藤新平、板垣退助らとともに下野、再び鹿児島に戻り、私学校で教育に専念します。
佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱など士族の反乱が続く中で、明治10年(1877年)に私学校生徒の暴動から起こった西南戦争の指導者となるが、敗れて城山で自刃しました。
明治天皇は、西郷の死を聞いた際に「西郷を殺せとは言わなかった」と洩らした、と言われます。