後藤象二郎(ごとうしょうじろう)

後藤象二郎は、明治時代に政治家として活躍していますが、彼の名前が覚えられているのは、やはり幕末に土佐藩や日本国政に関わる仕事をしたことによるところが大きいといえるようです。
 
日本人ではじめてルイ・ヴィトンの製品を愛用した事でも知られています(パリの本店で鞄を購入)。
 
後藤象二郎土佐藩に生まれ、将来共に活躍する板垣退助とは幼い頃からの知り合い。義理の叔父である吉田東洋の塾で板垣らと共に学びました。吉田東洋の進言もあり、土佐藩政で活躍しましたが、吉田が暗殺されたあとは、よりどころを失って失脚します。
 
その後ふたたび土佐藩にて役職につき、藩政の実権を握る前藩主・山内容堂の信任を得、大監察に昇進。公武合体派の武市半平太を党首とする土佐勤王党を解散に追い込み、武市を切腹させます。
 
慶応3年(1867年)、後藤は長崎にて、坂本龍馬との会談を行います。後藤から見れば龍馬は、師であり叔父である吉田東洋の敵、龍馬から見れば後藤は武市端山の敵ですが、両者とも過去の因縁を忘れ、手を握ります。
 
土佐に帰国した後藤は、坂本龍馬が最初に提案したと言われている船中八策(大政奉還論などを内容とする)に基づき、前藩主・容堂に対し、将軍・徳川慶喜に大政奉還させるよう進言します。この進言の後に、脱藩罪に問われていた龍馬が特赦されたのも後藤の働きによると言われています。
 
明治時代は、新政府に参加し参議、参与などに就任。しかし征韓論争に敗れて、板垣退助・西郷隆盛らと共に下野します。その後、政治活動を行いつつ、再び政府に協力、大臣職も歴任。
 
また、実業家としては、長崎県の高島炭鉱を約55万円で払い下げを受けて蓬莱社を設立しますが、放漫な経営のため破綻。結果、岩崎弥太郎に売却しています。