岩崎弥太郎(いわさきやたろう)
岩崎弥太郎は、三菱財閥の創業者。明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物です。
岩崎弥太郎は土佐国の浪人の子として生まれ、幼い頃から文才を発揮し、14歳頃には当時の藩主山内豊熈にも漢詩を披露し才を認められます。21歳の時、江戸へ遊学しますが、国もとの父親が酒席での喧嘩により投獄された事を知り帰国。父親の免罪を訴えたことにより弥太郎も投獄され、村を追放されます。その後、吉田東洋の塾に入塾し、後藤象二郎らの知遇を得ます。
吉田東洋が藩の参政となると、土佐勤王党の監視や脱藩士の探索などにも従事。吉田東洋暗殺の犯人を追って大坂へ赴きますが、京都・大阪の尊王攘夷派が勢いを増し、犯人の捕縛が困難であったため、任務を放棄し無断帰国、長崎での藩費浪費の責任も問われ、職を辞します。慶応3年(1867年)、後藤象二郎により藩の商務組織・土佐商会主任、長崎留守居役に抜擢され、藩の貿易に従事。坂本龍馬が脱藩の罪を許され海援隊が土佐藩の外郭機関となると、藩命により隊の経理を担当しました。
明治に入って、海運業に従事し、三菱商会を設立。この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて三菱のマークを作っています。