日本初の「会社」組織
亀山社中は、幕府の直轄施設・神戸海軍操練所の解散をきっかけに、操練所の生徒の一部と、勝海舟の影響を大きく受けた坂本龍馬を中心とした一団を母体として、長崎・亀山の地で結成されました。これが後に海援隊の中心となります。
坂本龍馬は、1865(慶応元)年閏5月ごろ、薩摩藩の援助で、長崎に貿易結社を設立しました。この結社は宿舎の所在地から「亀山社中」と呼ばれました。
当初は薩摩藩の庇護の下に、交易の仲介や物資の運搬等で利益を得るのを目的としながら航海術の習得に努め、その一方で国事に奔走します。
社中の目的は、貿易を行い、商社をつくり海軍・航海の技術を習得することですが、最大の目的はこれらの活動を通じて薩長の手を握らせることでした。
社中のメンバーが、白袴を身につけていたので「亀山の白袴」と呼ばれていました。
1866(慶応2)6月、下関における対幕海戦(第二次長州征伐)で、亀山社中は長州の軍艦「ユニオン号」に乗り組み、海戦に参加、幕府軍を相手に戦い、長州の勝利に大きく貢献します。
しかし、最終的には多くの難題が発生し、亀山社中の運営は困難を極め、経済的に行き詰まり、土佐藩の援助を受けることになって名を海援隊と改めました。龍馬は脱藩の罪を許されて隊長に任ぜられています。